古馬中距離G1を完全制覇した名馬テイエムオペラオーの歴史や名勝負を徹底紹介

テイエムオペラオー 競走馬解説

テイエムオペラオーは

・年間無敗
・重賞8連勝
・G1 5連勝
・古馬中距離G1 完全制覇

と、2000年の競馬界で上記全ての偉業を成し遂げた名馬です。

1年間は他の様々なライバルの馬がいるのにも関わらず絶対的王者の座を守り抜いてきました。

当記事では、そんなテイエムオペラオーがどんな馬だったのか紹介していきます。

テイエムオペラオーはどんな馬?

テイエムオペラオー

テイエムオペラオーは1999年JRA賞最優秀4歳牡馬、2000年年度代表馬、JRA賞最優秀5歳以上牡馬を獲得した名馬です。

2000年の年間無敗記録を達成した記録を持っており、この記録はシンボリルドルフに続いての中央競馬GI最多勝タイの記録となっています。

素晴らしい成績を残してきましたが、当時、日本軽種馬協会の種牡馬であるオペラハウスの産駒の牡馬はセリ市に出す義務があったので、竹園は1997年の10月に静内で行われたセリ市でテイエムオペラオーを購入しました。

このセリ市のときは他に競り合うライバルもいなく、スタート価格の1000万円で購入できたそうですが、ここまで多額の賞金を稼ぐ事ができるとは誰も考えていなかったかもしれません。

また、テイエムオペラオーの名前は、この馬に冠名である「テイエム」、父から名の一部をとって「オペラ」、そしてサラブレッドの王になれという思いを込めて「オー」という組み合わせで「テイエムオペラオー」と名付けました。

下記にテイエムオペラオーの競走馬データを紹介します。

馬名 テイエムオペラオー
品種 サラブレッド
性別名 牡馬
毛色 栗毛
誕生日 1996年3月13日
死没 2018年5月17日
登録日 1998年6月11日
抹消日 2002年1月17日
オペラハウス
ワンスウエド
生産 杵臼牧場
馬主 竹園正繼
調教師 岩元市三(栗東)
厩務員 原口政也

テイエムオペラオーの競走成績

テイエムオペラオーは過去に数多くの名勝負を見せつけてきました。

こちらでは、テイエムオペラオーの過去の競走成績を一覧で紹介します。

日付 競馬場 競走名 クラス 着順
2000.10.29 東京 天皇賞(秋) GI 1着
2000.11.26 東京 ジャパンC GI 1着
2000.12.24 中山 有馬記念 GI 1着
2001.4.1 阪神 大阪杯 GII 4着
2001.4.29 京都 天皇賞(春) GI 1着
2001.6.24 阪神 宝塚記念 GI 2着
2001.10.7 京都 京都大賞典 GII 1着
2001.10.28 東京 天皇賞(秋) GI 2着
2001.11.25 東京 ジャパンC GI 2着
2001.12.23 中山 有馬記念 GI 5着

テイエムオペラオーのレーススタイル

テイエムオペラオー

テイエムオペラオーのレーススタイルは豊富なスタミナと長く使える脚やパワーによって見せてくれる競り合った時の勝負強さや道悪に対する強さではないでしょうか。

また、パワーだけではなく高い瞬発力やスピードも兼ね備えており、先行・差しなど様々なスタイルの戦法を使い分ける事ができ、競馬ファンからはテイエムオペラオーは「自在」と言われる程、器用な馬でした。

そして、テイエムオペラオーの最大の特徴でもあるスタミナやパワーは科学的によって証明されていたのです。

JRAの研究施設である競走馬総合研究所ではテイエムオペラオーを対象とした研究を行ったところ、テイエムオペラオーの心臓は非常に心拍数が低く、大きく強い心臓を持っていたことが判明しました。

このデータ基に「テイエムオペラオーは傑出した持久力を持った競走馬であることが科学的に証明された」と研究所がコメントを出しています。

近年の競走馬でも数多くの成績を残してきた馬はいますが、中々科学的にその強さが証明されている馬はほとんどいないかもしれません。

テイエムオペラオーの名勝負

テイエムオペラオー

2000年のテイエムオペラオーは非常に調子が良く、京都記念と阪神大賞典を連勝し、天皇賞(春)と宝塚記念を完勝してG1を2連勝しました。

その後も、京都大賞典、天皇賞(秋)、ジャパンカップと連勝は止まらず、全てのG1レースで勝利をおさめています。

2000年の年末に開催される有馬記念に勝利する事ができれば、史上初の古馬八大競走完全制覇を達成できるとして競馬ファンからは高い注目を集めていました。

絶好調と言っても過言ないテイエムオペラオーでしたが、有馬記念当日の朝、他の競走馬暴れた様子を見たテイエムオペラオーは興奮してしまい顔面をぶつけて片目が塞がるほどの怪我をしてしまったのです。

それでも有馬記念の出走を諦めずレースへ送り込みました。

レースが始まりましたが、逃げ馬が出遅れてしまった為スローペースのレースになりました。

テイエムオペラオーは他の競走馬に進路を塞がれ身動きができない不利な状況となってしまいましたが、最後の直線で馬群が散らばりわずかな進路が開いた瞬間、そこをめがけて直線で抜け出すことに成功しました。

その後は、わずかにハナ差でゴールを決め有馬記念を見事に優勝したのです。

この有馬記念の優勝によって、2000年の年間全勝、2000年の古馬中距離G1完全制覇、古馬八大競走完全制覇という、未だかつて無い偉業を成し遂げました。

この偉業は後の競馬界でもテイエムオペラオーのみで、テンポイントやシンボリルドルフ以来となる満票での年度代表馬選出という記録も残したのです。

片目の怪我があるのにも関わらず、華麗な勝利を見せつけ、テイエムオベラオーは、生涯獲得賞金18億3518万9000円という世界レコード保持者となり、今でも多くの競馬ファンに語り継がれる名馬となりました。

テイエムオペラオーの引退後

テイエムオペラオー

テイエムオペラオーは引退レースとなった有馬記念でも1番人気となっていましたが、そのレースでは過去最低着順となる5着となってしまい、最後は良い成績を残すことはできませんでした。

そして、このレースを最後に競走馬としての競争生活を終え、2002年1月13日に、京都競馬場でライバル・メイショウドトウと合同の引退式が行なわれ、種牡馬となったのです。

その後、2004年4月26日にはJRA顕彰馬に選出され、殿堂入りが決まり、また、同年6月にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「テイエムオペラオーメモリアル」が宝塚記念施行日の阪神競馬場の準メイン競走として施行されました。

2018年5月17日にテイエムオペラオー死す

テイエムオペラオー

数多くの偉業を成し遂げたテイエムオペラオーですが、2018年5月17日にテイエムオペラオーが亡くなりました。

1996年3月13日生まれの22歳でしたので、人間の年齢にしておよそ65歳くらいでした。

関係者によると、テイエムオペラオーは引退後も健康そのもので、目立った病気や怪我をすることもありませんでした。

亡くなった当日の朝までも、普段と変わりなく健康そのままという様子でしたが、放牧中だった14時過ぎに突然心臓麻痺を起こし息を引き取りました。

まとめ

テイエムオペラオー

テイエムオペラオーは2000年の競馬界で「年間無敗」「重賞8連勝」「G1 5連勝」「古馬中距離G1 完全制覇」と、未だ達成されていない偉業を成し遂げた名馬でした。

あまりの強さに、テイエムオペラオーがG1に出ると競馬ファンからは「G1がつまらなくなる」とまで言われ圧倒的な強さを見せつけという話も残っています。

種牡馬とはなりましたが、2018年5月17日に亡くなってしまい残念ですが、多くの競馬ファンから支持されていたテイエムオペラオーの伝説は競馬ファンに語り継がれていくでしょう。