年間種付頭数266頭の日本記録を持つキングカメハメハの歴史や名勝負を徹底紹介!

キングカメハメハ 競走馬解説

令和元年という記念すべき年にディープインパクトとキングカメハメハという歴史的名馬がこの世を去った事で記憶に残っている方も多いでしょう。

ディープインパクトも名馬として活躍してきましたが、キングカメハメハのレースも競馬ファンなら忘れてはいけません。

そこで本記事では、初戦以外では負け知らずだったキングカメハメハの歴史や名勝負について紹介していきます。

キングカメハメハはどんな馬?

キングカメハメハ

キングカメハメハは2歳の11月の新馬戦と翌月の500万特別のエリカ賞を連勝し、一躍クラシック戦線に名乗りを上げました。

3歳の時に初出走となった京成杯では3着なったものの、以後敗戦はこの1レースだけで、あとは引退まで全てのレースで勝利を飾った名馬です。

3月の毎日杯で初めて重賞を制して、皐月賞に向かうかと思われていましたが、これを回避してNHKマイルカップに参戦し、2着のコスモサンビームに0.8秒もの大差を付けて圧勝しました。

そして、同年5月のダービーでは、圧倒的な1番人気に答えて見事勝利し、ハーツクライやコスモバルクなどの他のライバルたちにも差を見せつけ鑑賞することができました。

ちなみに、NHKマイルとダービーの変則2冠達成はキングカメハメハが初めてです。

ダービー後の9月に行われた神戸新聞杯も解消し5連勝していましたが、屈腱炎を発症してしまい引退に追い込まれてしまいました。

下記にキングカメハメハの競走馬データを紹介します。

馬名 キングカメハメハ
欧字表記 King Kamehameha
香港表記 夏威夷王(卡美哈梅哈大帝)
品種 サラブレッド
性別名 牡馬
毛色 鹿毛
誕生日 2001年3月20日
死没 2019年8月9日(18歳没)
Kingmambo
マンファス
生産 ノーザンファーム
馬主 金子真人
調教師 松田国英(栗東)

キングカメハメハの競走成績

キングカメハメハは過去に数多くの名勝負を見せつけてきました。

こちらでは、キングカメハメハの過去の競走成績を一覧で紹介します。

日付 競馬場 競走名 クラス 着順
2003.11.16 京都 2歳新馬 1着
2003.12.13 阪神 エリカ賞 1着
2004.1.18 中山 京成杯 GIII 3着
2004.2.29 阪神 すみれS OP 1着
2004.3.27 阪神 毎日杯 GIII 1着
2004.5.9 東京 NHKマイルC GI 1着
2004.5.30 東京 東京優駿 GI 1着
2004.9.26 阪神 神戸新聞杯 GII 1着

キングカメハメハ産駒の特徴

キングカメハメハ

近年の競馬界ではサンデーサイレンス系の産駒ばかりになっていますが、その中でも種牡馬ランキングで上位争いをしている種牡馬がキンガカメハメハです。

サンデーサイレンス系が活躍していますが、実はサイアーライン(馬における父方の系図)の中でキングカメハメハが有利な点があります。

サンデーサイレンス系の血統が混ざっていないため、サンデー系の優秀な牝馬との配合が出来る」という点です。

キングカメハメハ系の産駒の特徴としてはスピードよりもパワー重視の競走馬が多い印象があります。

産駒もそうですが、キングカメハメハ自信もスピードよりも圧倒的なパワーと推進力が特徴だったので、その血が産駒にも引き継がれているのかもしれません。

キングカメハメハの産駒の芝の戦績を見ていくと、産駒の特徴から中山・阪神競馬場などのパワーが必要な競馬場で好成績を残していることが分かります。

また、ダート適正を見てみると、キングカメハメハ産駒はパワー型が得意な馬が多いため、芝に劣らぬ戦績をダートで残しています。

ホッコータルマエなど輩出しているように、ダートが得意な馬も多く芝からのダート替わり、ダートからの芝替わりは特に気にする必要はないでしょう。

これがキングカメハメハ産駒がリーディング争いができる大きな要因かもしれません。

キングカメハメハ自身は中距離を得意とする馬の印象でしたが、キングカメハメハの産駒の距離適正を見ると、短距離から長距離まで結果を残している事が分かります。

キングカメハメハ産駒の特徴をまとめると、

・パワー型の中山・阪神競馬場が得意。
・短距離から長距離もこなすオールマイティ。
・芝・ダート共にこなし、母親の能力も引き継ぎ易い。

などが挙げられます。

キングカメハメハの名勝負

キングカメハメハ

キングカメハメハの名勝負と言えば2004年5月30日に行われたG1、東京優駿ではないでしょうか?

2004年の東京優駿は「最強の大王が降臨した!死のダービー」とまで呼ばれる程、殺人的なハイペースでレースが始まりました。

かつて見たことのないハイペースの中、キングカメハメハはハイペースの中4角から余裕の手応えで抜け出して、ハーツクライの猛烈な追い込みを振り切りキングカメハメハが勝利を飾りました。

後に歴史的名馬のディープインパクトを下したハーツクライの力を考えてもキングカメハメハの強さは圧倒的だったのかもしれません。

キングカメハメハの引退後

キングカメハメハ

キングカメハメハは引退後にも種牡馬として大きな活躍を見せていました。

競走馬引退後は国内調教馬としては当時の史上最高額となる総額21億円の種牡馬シンジケートが組まれ、北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションに種牡馬として繋養され、2005年より供用されていました。

2006年7月11日、ノーザンホースパークにおいて行われたセレクトセールにて、初年度産駒の当歳牝馬が6億円という世界最高額で落札されたこともありました。

なぜ、ここまで高額な落札価格だったのかというと、サンデーサイレンスの血を持たないため、サンデーサイレンスの血を持つ繁殖牝馬との交配ができることがメリットとされたという理由があります。

そして、キングカメハメハは2010年には年間種付頭数266頭の日本記録を達成しました。

名馬2頭が令和元年に息を引き取る

キングカメハメハ

2019年7月30日に名馬でもあるディープインパクトが死亡し、競馬ファン達に衝撃を与えました。

ディープインパクトの死も非常に悲しいニュースでしたが、この急死からわずか10日余りで、競馬界にさらなる激震が走ったのです。

けい養先の社台SSによると、キングカメハメハは9日夕方から熱が上がり始め、同午後10時ごろから容体が急変し、懸命の治療もむなしく、そのまま息を引き取りました。

令和元年という年にディープインパクトとキングカメハメハの2頭の名馬が亡くなってしまったのは非常に残念です。

実はキングカメハメハは2019年にはいってから健康状態が思わしくなく本年の種付けが見送られていました。

体調の改善に努めた様ですが、改善も思わしくなく同年に種牡馬としての引退も発表しています。

また、晩年は花意匠を患っており、、目が不自由になっていたことから人間の糖尿病に近い症状だったのかもしれないと吉田勝己は推測していました。

インターネットのニュースなどには「急死」などと書かれている事が多くありましたが、2019年に入ってからは調子が悪く、健康そのものという状態ではなかったのかもしれませんね。

まとめ

キングカメハメハ

本記事ではキングカメハメハの歴史や競走成績について紹介しました。

キングカメハメハは初戦以外では負け知らずの名馬で種牡馬としても大きな功績を残してきました。

しかし、令和元年という年に惜しくもディープインパクトの後を追う形で息を引き取りました。

名馬が同じ年に2頭も亡くなってしまったのは残念ですが、今後もキングカメハメハ産駒の馬が活躍していく事を期待しましょう。