競走馬は骨折をしてしまうと、予後不良と診断され安楽死になってしまう事が多いのはご存知でしょうか?
競走馬についての知識がないと、人間と同じ感覚で骨折は治れば復帰できると考えている方が多いかもしれません。
しかし、競走馬の骨折は命に直結する重大なことなのです。
本記事では、なぜ競走馬が骨折すると予後不良となって安楽死になってしまうのか紹介していきます。
競走馬はガラスの脚とも呼ばれ骨折しやすい
競走馬は日頃からレースや調教で身体を支える脚にかなりの負担を与えています。
そのため、競走馬の足首は骨折やヒビなどの怪我をしやくす「ガラスの足首」と呼ばれることもあるのです。
もちろん、脚を骨折してしまえば、その後のレースに出走できなくなってしまったり、治ったとしても本来の実力を発揮できなくなってしまう可能性も考えられるでしょう。
また、怪我の程度によっては獣医によって予後不良と診断され安楽死による殺処分されてしまうこともあります。
骨折しても復帰した競走馬もいる
競走馬として、脚は命にも影響する大切な部分ですが、骨折したからと言って必ず予後不良になる訳ではありません。
軽度の骨折だった場合などは治療を経て競走馬としてレースに復帰する場合があります。
骨折の部位や程度によっては走る事ができなくなってしまうかもしれませんが、自分の体重を脚で支えられるかどうかが大事なポイントになってきます。
自分で体重を支える事ができる怪我であれば、他の病気を発症するリスクも少なく、時間を掛けて治療することができるでしょう。
骨折で「予後不良」として安楽死になる理由
レース中による骨折の多くの場合、安楽死となってしまうケースが多くありますが、この判断は獣医師が行っています。
怪我の程度によって異なりますが、軽度な場合に限り休養後に復帰という場合もあります。
逆に複雑骨折の様な重度の怪我になってしまうと、獣医師が今後の競走馬の人生も考え、安楽死を勧めるのです。
なぜ、骨折だけで安楽死の道を辿らなければならないのかと言うと、競走馬は「ガラスの脚」と呼ばれる程繊細な脚を持っており、1本の足に100kg~150kgもの負担が掛かります。
そのため、一本の脚が骨折やヒビによって使うことができないと、本来4本で支える体重を3本で支えなければいけません。
そうなると、骨折した脚だけではなく、他の健康な脚にも
、蹄葉炎(ていよう えん)、蹄叉腐爛(ていしゃふらん、ていさ ふらん)といった病気を発症するリスクが高まってしまいます。
競走馬自身の体重によって血行障害が生じ、、蹄(ひずめ)の内部が炎症を起こし、骨折していない足も、次々に故障が発生することもあるのです。
つまり、競走馬は一本の脚が骨折すると、レースに出走できなくなるだけではなく、自身の命にも影響が出てきます。
療養させても完治することは難しい
獣医師から予後不良を診断されても尚、安楽死を避け療養した馬がいます。
それは、春の天皇賞や有馬記念を制したテンポイントです。
テンポイントはレース中の怪我で骨折してしまい、獣医師から予後不良の診断が下されました。
しかし、テンポイントの馬主はテンポイントに生きていて欲しいと考え、安楽死を避け療養生活を送ることにしたのです。
テンポイントの怪我を治すため、33名もの獣医師が医師団を組んで手術を行いました。
その結果、怪我の具合も良く、命に関わることはないだろうとお墨付きももらったのです。
しかし、安心したのにも関わらず、骨折した脚が弱っており、骨折した脚に体重が掛かり、患部が腐敗して骨も露出してしまいました。
そして、最終的には蹄葉炎を発症し約5ヶ月後に自然死していまったのです。
療養中も競走馬時代は500kgあった体重が300kgまで落ち、やせ細り、健康とは言えない状態でした。
馬主の意向もありますが、体重が200kgも落ちてしまう療養生活は非常に過酷でテンポイントにとっては安楽死の方が幸せだったかもしれません。
まだ、皐月賞と菊花賞を取った2冠馬のサクラスターオーも、レース中の怪我で安楽死ではなく療養生活を送ることにしていました。
サクラスターオーは有馬記念に一番人気に応えるために無理に出走し、靱帯断裂と関節脱臼で予後不良の診断を受けました。
予後不良の診断を受けましたが、競馬ファンの「せめて種牡馬に」という要望もあり、療養生活が始まったのです。
しかし、サクラスターオーは自身の体重を3本の脚で支えることができなくなってしまい、立ち上がる際に他の脚を骨折してしまいました。
その後、自力で立ち上がることができなくなり、レース中の怪我から約5ヶ月後に安楽死の措置が取られたのです。
レース中に骨折してしまった競走馬
骨折が原因で競走馬としての人生を絶たれ、予後不良となってしまった競走馬もお多くいます。
名馬と言われる馬から、あまり有名でない馬も合わせるとかなりの数がいるかもしれません。
こちらでは、安楽死になってしまった、名馬と呼ばれる競走馬について紹介していきます。
ライスシャワー
ライスシャワーはミホノブルボンの牡馬クラシック三冠達成を阻止しただけでなく、メジロマックイーンの天皇賞・春3連覇を阻んだ「関東の刺客」です。
1992年の菊花賞など、通算でG1・3勝を記録していましたが、1995年の宝塚記念のレース中に転倒し、左脚を故障。
重度の怪我だった為、安楽死の措置が取られました。
サクラスターオー
1987年の皐月賞と菊花賞を優勝し、牡馬クラシック二冠を達成したものの、同年の有馬記念のレース中に左前脚の故障を発症し競走中止され、予後不良の診断が下されました。
獣医たちの懸命な治療も実らず、翌1988年5月12日に安楽死となりました。
誕生後すぐに母親を亡くし、自身もレース中の故障でこの世を去ったことから、悲運の名馬として知られています。
ホクトベガ
1993年の桜花賞を優勝したほか、帝王賞や川崎記念といった地方競馬のダート重賞を次々に勝つ、など芝・ダートで頂点を極めた名馬です。
1997年にダートの世界最高峰のレース・ドバイワールドカップに出走したものの、レース中に転倒し、左前脚を故障し、予後不良の診断を受け、安楽死の措置が取られました。
サイレンススズカ
サイレンスズカのG1勝利は1998年・宝塚記念だけですが、圧倒的なスピードで逃げ切り勝ちを決める姿に惚れ込む競馬ファンが続出しました。
6連勝で臨んだ1998年の天皇賞・秋では、単勝オッズ1.2倍という抜けた1番人気に支持されますが、レース中に左前脚を骨折し、競走中止され、後に予後不良と診断され、安楽死の措置が取られました。
まとめ
骨折は人間にとっての骨折は治れば良いという考えかもしれませんが、思い体重を4本の脚で支える競走馬は一つの骨折が命乗りとなってしまいます。
骨折によって予後不良と獣医師から診断され、安楽死の道を辿るかもしれませんが、競走馬にとってそれが楽な道なのかもしれません。
競走馬はレース中に怪我をしないようにしなければいけませんが、競馬はスポーツである以上、アクシデントはつきものです。
レース中や調教中の事故は仕方ないのかもしれませんが、少しでも予後不良となって安楽死となる競走馬が減ることを祈っています。
また、いずれ医療の発達により、脚を骨折した競走馬も通常の生活を行える様に治療できるようになると良いですね。