武豊をダービージョッキーに導いたスペシャルウィークの全貌を徹底紹介!

スペシャルウィーク 競走馬解説

スペシャルウィークは名騎手としても知られている武豊騎手をダービージョッキーとして導いた名馬です。

また、当時は日本最高額の賞金を獲得し、一世を風靡していました。

本記事では、そんなスペシャルウィークがどの様な競走馬だったのか、競争成績などを交えて紹介していきます。

スペシャルウィークはどんな馬?

スペシャルウィーク

スペシャルウィークは、1998年の東京優駿、1999年の天皇賞(春・秋連覇)、ジャパンカップの勝利と様々な功績を残しています。

また、獲得賞金も10億9262万3000円と、テイエムオペラオーに記録を更新されるまでは当時の日本最高賞金を獲得していました。

スペシャルウィークはサンデーサイレンスの産駒としては穏やかな性格で、調教師や騎手の言う事を聞き、レースも調教も自分に与えられた仕事を黙々とこなす馬で、厩舎で牝馬とすれ違いっても見向きもしなかったと言われていました。

その性格も併せてスペシャルウィークはトータルバランスが優れていたため、1998年度のジャパンカップで騎乗した岡部幸雄騎手も「スペシャルウィークはシンボリルドルフに似ている」と語っています。

そして、スラッと長い脚から繰り広げるレースは華麗そのもので、多くの競馬ファンを魅了したのです。

下記にスペシャルウィークの競走馬データを紹介します。

馬名 スペシャルウィーク
欧字表記 Special Week
香港表記 特別週
品種 サラブレッド
性別名
毛色 黒鹿毛
誕生日 1995年5月2日
死没 2018年4月27日
サンデーサイレンス
キャンペンガール
生産 日高大洋牧場
馬主 臼田浩義
調教師 白井寿昭(栗東)
調教助手 調教助手
厩務員 村田浩行

スペシャルウィークの競走成績

スペシャルウィークは過去に数多くの名勝負を見せつけてきました。

こちらでは、スペシャルウィークの過去の競走成績を一覧で紹介します。

日付 競馬場 競走名 クラス 着順
1998.11.8 京都 菊花賞 GI 2着
1998.11.29 東京 ジャパンC GI 3着
1999.1.24 中山 AJCC GII 1着
1999.3.21 阪神 阪神大賞典 GII 1着
1999.5.2 京都 天皇賞(春) GI 1着
1999.7.11 阪神 宝塚記念 GI 2着
1999.10.1 京都 京都大賞典 GII 7着
1999.10.31 東京 天皇賞(秋) GI 1着
1999.11.28 東京 ジャパンC GI 1着
1999.12.26 中山 有馬記念 GI 2着

スペシャルウィーク産駒の特徴

スペシャルウィーク

スペシャルウィークの産駒のトーホウジャッカルが菊花賞を勝利したことで、長距離にも強い血統と思われがちですが、実際はマイル戦を得意とする産駒が多くなっています。

芝とダートの適性では、どちらも重賞で勝利している馬はいますが、ダートでは長距離を苦手としているので、やはりマイル戦に向いているのかもしれません。

続いて、距離を見ていくと1,200m~2,400mまでどの距離も走れている傾向があるため、距離に関してはオールマイティです。

また、馬場適性は稍重・重となった場合は、戦績が下がるどころか上がる傾向が強いため、道悪が得意と言っても良いかもしれませんね。

スペシャルウィーク産駒の特徴をまとめると。

・ダートより芝向きの脚質
・札幌・函館・小倉コースが得意
・東京コースは不得意
・短距離から中長距離をこなせるオールマイティ型
・重・不良馬場もこなせて芝では道悪が得意。
・ダートは苦手

になるので覚えておいてください。

スペシャルウィークの代表産駒は、もはや説明は不要かもしれませんがブエナビスタではないでしょうか?

ブエナビスタは引退までG1・6勝。獲得賞金は13億8千万円とスペシャルウィークの産駒の中でも規格外の強さを誇っていました。

また、ブエナビスタ以外にもシーザリオなど歴史に名を響かせてきた名馬が数多くいます。

スペシャルウィークの軌跡

スペシャルウィーク

スペシャルウィークは1997年11月に新馬戦でデビューしました。

そのレースでは武豊がジョッキーとして騎乗し、快勝を遂げたのです。

その後、年明け1月の白梅賞では伏兵のアサヒクリークに敗れて2着になってしまいます。

しかし、2月のきさらぎ賞と弥生賞を連勝して、その実力が認められクラシック候補に名乗りをあげました。

ダービーでもダントツで1番人気に推され、当日のレースでは見事に期待に応えて2着に5馬身もの大差を付けて圧勝し、文句なしにクラシックホースの栄光を手にしました。

4歳の古馬になってからは、天皇賞春、天皇賞秋、ジャパンカップで優勝。宝塚記念と有馬記念では2着と、1着なるこができず、4歳の有馬記念が現役最後のレースとなったのです。

スペシャルウィークの引退後

スペシャルウィーク

スペシャルウィークは引退後に種牡馬入りしました。

北海道の社台スタリオンステーションに繋養され、2003年には産駒であるヤマニンラファエルがデビューしました。

産駒初出走で初勝利を収めましたが、初年度産駒は概して出世が遅めでした。

しかし、2年目の産駒がそれを覆したのです。

スムースバリトンが2004年の東京スポーツ杯2歳ステークス (GIII) で中央競馬の重賞を初制覇すると、シーザリオが2005年の優駿牝馬を優勝し、産駒初のGI勝利を挙げました。

シーザリオは同年のアメリカンオークスインビテーショナルステークス (米国GI) も優勝し、産駒初の国際重賞勝利のみならず父内国産馬としても日本のクラシック馬としても初の日本以外の国際GI制覇と、素晴らしい功績を残したのです。

スペシャルウィークとオーナーが息を引き取る

スペシャルウィーク

名馬として名を轟かせてきたスペシャルウィークですが、2018年4月27日に牧場内の馬房内で転倒しているところをスタッフにより発見され、その後、息を引き取りました。

息を引き取る4日前の2018年4月23日の放牧中に転送し、左腰を強打してしまい、馬房内で経過観察していた矢先の死亡とのことでした。

スペシャルウィークは1995年5月2日生まれなので、馬齢23歳と馬の平均寿命を全うしました。

2017年2月3日には種牡馬生活からも引退し、残りの余生を暮らしているところでの怪我からの死亡でしたが、放牧中の転倒さえなければもう少し長く生きていたかもしれません。

そして、名馬スペシャルウィークのオーナーでもある臼田浩義オーナーが昨年末に死去しています。

スペシャルウィークのオーナーとしても、臼田浩義の名前を知っている競馬ファンが多くいましたが、昨年12月26日に病気のため79歳で死去してしまいました。

名馬スペシャルウィークが息を引き取って、まもなくオーナーでもある臼田浩義が亡くなったのは、何か二人の縁を感じてしまいます。

まとめ

スペシャルウィーク

以上、スペシャルウィークはどの様な馬だったのかなどを紹介しました。

やはり、なんと言ってもスペシャルウィークは名騎手の武豊選手をダービージョッキーとして導いた功績を残している事でも多くの競馬ファンからも親しまれているでしょう。

2018年4月27日に息を引き取ってしまい、多くの競馬ファンも悲しみましたが、何よりも自身をダービージョッキーとして導いてもらった武豊騎手が一番辛かったかもしれません。

スペシャルウィークの生の走りを見ることは今後できないのは残念ですが、13億円も賞金を稼いだ名牝馬ブエナビスタに続きシーザリオなど、歴史に名を響かせてきた産駒が多く存在しているので、今後もスペシャルウィークの血を引き継いで言ってもらいところですね。