皆さんは、フランス凱旋門賞で過去に素晴らしい成績を残した馬をご存知ですか?
それは、日本馬で史上初、凱旋門賞2着まで届いたエルコンドルパサーです。
今回は、エルコンドルパサーの現役時代の競走成績や凱旋門賞での活躍、代表産駒についても紹介していきます。
エルコンドルパサーはどんな馬?
今は亡き、エルコンドルパサーはどんな馬だったのかご説明します。
父は、Kingmamboで、母Saddlers Gal という血統に外国産馬のサラブレッドです。
新馬戦、500万条件とダートレースを物凄く強いレースっぷりで勝ちました。
すごい結果を残した事で芝への挑戦します。
ニュージーランド4歳ステークスで芝を走り簡単に勝ち進みます。
この年のNHKマイルカップでエルコンドルパサーは1.8倍の一番人気になりました。
そして見事優勝を果たし、皆がこの強さに驚きました。
そして、次走はジャパンカップに出走します。
見事、出走したジャパンカップは堂々とした快走で優勝します。
特に同世代のダービー馬スペシャルウィークをねじ伏せたことで、今度は世代最強を高らかに宣言したような貫禄がありました。
そして有馬記念へは出走せずにこの年を終えます。
エルコンドルパサーは翌年、凱旋門賞を目指して欧州遠征を決断します。
この前年、シーキングザパールやタイキシャトルがヨーロッパGⅠに勝っており、日本馬が海外遠征する機運がかつて無く盛り上がっていました。
海外遠征と言っても1レースか2レース使って帰ってくるのが普通なのだが、エルコンドルパサーの場合は半年もの間ヨーロッパに滞在して調教を積むという現在でもあまり見られない無い取り組み方をしました。
最後に走るのは凱旋門賞です。
当地の競馬マスコミも仰天し、本番の凱旋門賞ではアイリッシュダービー馬モンジュー、キングジョージの勝ち馬デイラミと並ぶ三強の一角と評価されました。
凱旋門賞直前には滞在していた調教場全体から応援されていた程で、状態のいいコースを優先的に使わせてもらっていました。
しかし、凱旋門賞の本番当日までは悪天候が続き、コースが非常に柔らかい状態になっていました。
その状態で凱旋門賞本番が始まったのです。
スタートでポンと飛び出したエルコンドルパサーはマイペースで逃げ続け、そのまま直線中ほどまで手ごたえ十分なまま先頭を走ります。
しかし、モンジューが凄まじい脚で外から差し切って抜きました。
モンジューは重馬場を得意としており、天候をも味方につけた勝利でした。
結果的に負けこそしたもののモンジューとの斤量差、この後ろを5馬身もちぎったことから、現地でのレース評価は「今年は勝ち馬が2頭いた」というものになり、この年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング長距離部門において日本調教馬で歴代最高の134ポンドという破格の評価を受けました。
ちなみに、2006年のディープインパクトは127ポンドの評価であった。
エルコンドルパサーはこのレースをもって引退します。
通算成績11戦8勝二着3回の連対率100%を達成しており、これはシンザン(19連対)、ダイワスカーレット(12連対)に次ぐ記録です。
もちろん長期の外国遠征を含めてこの記録を達成した馬はエルコンドルパサーが唯一になります。
1999年は国内で走っていないにも関わらず、あまりに衝撃的なその活躍から年度代表馬に選ばれスペシャルウィークとグラスワンダーを上回る結果になりました。
下記にエルコンドルパサーの競走馬データを紹介します。
馬名 | エルコンドルパサー |
---|---|
欧字表記 | El Condor Pasa |
香港表記 | 神鷹 |
品種 | サラブレッド |
性別名 | 牡馬 |
毛色 | 黒鹿毛 |
誕生日 | 1995年3月17日 |
死没 | 2002年7月16日(7歳没) |
父 | Kingmambo |
母 | サドラーズギャル |
生産 | Takashi Watanabe |
馬主 | 渡邊隆 |
調教師 | 二ノ宮敬宇(美浦) |
厩務員 | 根来邦雄→佐々木幸二員 |
エルコンドルパサーの競走成績
エルコンドルパサーは過去に数多くの名勝負を見せつけてきました。
こちらでは、エルコンドルパサーの過去の競走成績を一覧で紹介します。
日付 | 競馬場 | 競走名 | クラス | 着順 |
1998.1.11 | 中山 | 4歳500万下 | – | 1着 |
1998.2.15 | 東京 | 共同通信杯4歳S | 重賞 | 1着 |
1998.4.26 | 東京 | NZT4歳S | GII | 1着 |
1998.5.17 | 東京 | NHKマイルC | GI | 1着 |
1998.10.11 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 2着 |
1998.11.29 | 東京 | ジャパンC | GI | 1着 |
1999.5.23 | ロンシャン | イスパーン賞 | G1 | 2着 |
1999.7.4 | サンクルー | サンクルー大賞 | G1 | 1着 |
1999.9.12 | ロンシャン | フォワ賞 | G2 | 1着 |
1999.10.3 | ロンシャン | 凱旋門賞 | G1 | 2着 |
ターニングポイントとなったジャパンカップ
エルコンドルパサーがターニングポイントとなったレースはジャパンカップでしょう。
これまでNHKマイルC勝ちを含む6戦5勝で、2着1回とほぼパーフェクトな成績を残していたエルコンドルパサーですが、ジャパンカップに臨むにあたって1800mまでしか距離経験がなく、さらに同世代のダービー馬スペシャルウィークと、牡馬に混じって天皇賞・秋を勝った最強牝馬エアグルーヴも出走してきたこともあり、当日のエルコンドルパサーは3番人気でした。
当時はまだ3歳でジャパンカップを勝った馬がいなかったのも人気に影響したのかもしれませんね。
しかし、レースで見せたエルコンドルパサーのパフォーマンスは距離不安など微塵も感じさせない素晴らしいものでした。
エルコンドルパサーの競走生活において、間違いなくターニングポイントとなったレースがこのジャパンカップでした。
エルコンドルパサーの名勝負は凱旋門賞
凱旋門賞当日のエルコンドルパサーはモンジューに次ぐ2番人気に支持されていました。
モンジューはここまで7戦6勝2着1回とほぼパーフェクトな成績で前哨戦を制し、さらに血統的に馬場が悪くなるのは大歓迎のタイプだけに、1番人気に支持されたのは納得でしょう。
どちらにしても日本馬が初めて勝ち負けを意識できる程の人気に推され、競馬の本場フランスの有力馬と同等の評価を得たといった意味でも、日本競馬にとって歴史的な一日だったと言えそうです。
エルコンドルパサーの引退後
期待を集めながら種牡馬入りしたのだが、2002年に腸捻転で死亡してしまいました。
代表産駒にジャパンカップダートに勝ったヴァーミリアンや、菊花賞を勝ったソングオブウインドなどの後継種牡馬は結構います。
エルコンドルパサー産駒にはクラスが上がっても格負けせずに、むしろ強い相手の方がより底力を発揮するような力強さがありました。
3世代しか産駒が残せずに早世してしまったのが非常に惜しまれますが、もし無事なら今でも安定してリーディング上位を争う大種牡馬となっていたかもしれませんね。
まとめ
今回は、エルコンドルパサーの競走馬としての過去を振り返り紹介しました。
海外のGⅠレースにおいて短距離では通用していたものの、クラシックディスタンスにおいては世界と大きな能力差があった中、4歳シーズンをヨーロッパで過ごし、そこでトップクラスと互角以上の競馬を見せたエルコンドルパサーは、まさに日本競馬が世界と互角に戦えることを自らの走りで証明した国際化の先駆け的存在と言えるでしょう。
いつの日か訪れるであろう日本馬の凱旋門賞制覇の時が来る事を信じたいですね。